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緊急事態宣言から2週間

緊急事態宣言が出されてから2週間が経つ。様々な問題を抱えながらも、ようやくこの非日常が日常と化していることを感じ始めている。こうした状況にあって、19日には目黒区長選の投開票があった。維新の候補者は残念ながら勝ち抜けなかったが、多くの方々に支持を頂けた。応援して下さった皆さまに、心から御礼申し上げます。

私のもとには毎日、苦情や相談、要望や激励などが寄せられる。何といっても一番辛いのが訃報である。コロナとは関係ないが、宣言が出されてから身近な方で3人が逝った。基本的に外出自粛だから、お別れを言いに行けないこともあり、気を紛らわすことが難しい。音楽をかけてもそれがどういうわけか、亡くなった人と縁があるものだったりして、余計に悲しみが増す。

行けば会えたはずの人を亡くすことは悲しいことではあるが、こういう状況であるとなおさら、自分の死のことも考えずにはいられない。高度成長の恩恵を十分に受けている時代に生まれ、何の不自由もなく育ててもらったが、バブル崩壊あたりから世情は暗くなり、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件が起き、東日本大震災に至っては、直接の恐怖も体験した。この震災については、時と場合によって自分は簡単に死ぬんだな、ということをまざまざと感じたものである。

それ以来なのかもしれないが、交通事故の話を聞いても、病気で入院した便りをもらっても、どうも他人事とは思われず、どうにかこうにか生き抜けるように、早く回復するように手を尽くしたくなり、この衝動は間違いなくいまの職業を選んでいる理由にはなっていると思う。

深層心理では、同情なのか憐憫なのかよくわからない。そういうような気持ちがさせているのかもしれないが、「まあ、自分はどうなってもいいから、この人だけは」という気分が確かにある。それは自分の思いであって、本当に、たとえばコロナに罹って死んだとしたら、とくに子どもは悲しむに違いないし、将来が可哀そうである。それに、人にうつす恐れが出る。だから、それは勝手な言い分だと指弾されるだろう。

とはいえ、やはり、自分の死は死として怖いに違いないが、「俺は人のために死ぬんだ」と悲壮感を漂わせなくても、「自分はどうなってもいいから」くらいには思っておかないと、何もできないのではないか。とくに今の仕事を任されている以上、区民の命と生活が最も大切である。正直、区長の口だけの後手後手には頭にくる。しかし、役所の現場は“社長”が無能であろうが何であろうが、一生懸命働いていることを知っている。だから彼らが感染せず、区民を守る仕事が速やかに遂行できるように、知恵を絞りたい。きっと「自分はどうなってもいい」という、ささやかな自負心に支えられて奮闘しているだろうから。明日、世田谷区議会は常任委員会が開かれる。